目的語なんて無くたっていいじゃない
なぜ自動詞と他動詞を見極める必要があるのか。
「後ろに目的語がないのでその文章は文法的に間違いです」とならないため?
もしそうだとしたら、それはただの杞憂に過ぎないかもしれません。
何故なら、たいていの他動詞は自動詞としての機能も併せ持っているからです。
例えば「kick」という動詞。
蹴るという行為は、明らかに対象が存在してこそ成り立つ行為であり、エネルギーの流れが存在します。
なので当然の他動詞です。
が、しかしです。
たとえこれを目的語なしで使ったとしても、文法的に間違いです、なんて言われる筋合いはない。
That horse kicks.
あ~あやっちゃったね、「kick」は他動詞だから目的語を置かないと、って言われたらこう言ってやってください。
いやこれは状態の習性を表しているだけなんです。
「kick」という動作は明らかに対象を必要とする他動詞優位な行為です。
そんな「kick」ですら、自動詞としての機能を持つ。
その機能は「対象のことはどうでもいい」という状況の時に発動する。
自動詞の本質は「状態の変化」です。
対象のことはどうでもよく、それよりも主語の「状態の変化」の方が重要事項の場合、自動詞として機能する。
つまり「That horse kicks」という文章は、何を蹴るのかはどうでもよくて、その馬が「蹴るという行為を行ってる状態になる」という事実が重要だ、ということなんです。
そして現在形の文章は、一度きりのことではなく習慣的なことを表現することができる。
よって「That horse kicks」という文章は、その馬は蹴るんだよ(そういう性質なんだよ)、って意味合いになります。
だから気をつけろよとか、だから困ってるんだとか、そんなところでしょうか。
とはいえ、自動詞として機能していると言っても、対象を蹴るという行為の根本的な意味合いは他動詞のときと何ら変わっていません。
「I closed the door.」と 「The door closed.」の場合は同じ「close」でも意味が違っています。
他者を閉めた状態に「する」のと、自分が閉まった状態に「なる」の違いです。
それに比べると「kick」は、あくまでも「対象をどうこうして成立する行為」という他動詞の域を抜けきれていません。
そういった意味では、対象は別に何でもいい、どうでもいい、といった理由から省略されているだけ、とも言えます。
こういった省略はよく起きる。
例えば「今から何か食べに行かない?」と誘われたときに、
I have already eaten.
「何を」かはどうでもよく食べ終えた状態に「なっている」という状態変化に比重が置かれた結果、やっぱり目的語が省略される。
他動詞で目的語が必要だからといって無理に「a meal」とか置かなくてもいいんです。
もちろん、置いても間違いではないですよ。
ただ、こういった目的語の省略現象が起こる以上「他動詞の後には必ず目的語を置かなきゃ」なんて意識を働かせる必要はありません。
自分で置き忘れるくらい対象のことはどうでもいいって思ったんですから。
Take it easy. [気楽にいきましょう]