「meet」はただ単に出会うという限定された意味だけを持つ言葉ではなく、「対象との距離が縮まって接触する」という幅広い意味を持っています。
それ故に、いろんな使われ方をします。
His jacket didn't meet in front.
ジャケットってのは前でボタンを絞めますが、それが絞まってなかった、つまり接触してなかったという意味です。
この場合「button」や「fasten」という動詞で表現する方が普通かとは思います。
ただ「meet」に接触の意味がある以上、こういった使い方もできてしまえるわけです。
His jacket was not buttoned up.
[彼のジャケットはボタンが留められていなかった]
I told him to fasten up his jacket.
[私は彼にジャケットのボタンを絞めるように言った]
「meet」の持つ接触のニュアンスは、他にもよくこんな使われ方をします。
This path meets the main road one mile ahead.
[この道は1マイル先で幹線道路に接触します]
道と道との接触、この場合日本語的でいうところの「合流」という感覚がここでの「meet」には適切でしょう。
「join」という動詞を使う方が一般的なんでしょうが、「meet」を使っても別に変じゃない。
日本人の感覚だと道と道とが出会うって、そんな言い方は…って感じるかもしれませんが、それは英語の「meet」と日本語の「出会う」が意味的に同じ領域を担当していると思い過ぎです。
「meet」は出会うほど限定された意味ではなく「対象と距離が縮めて接触する」がその範囲です。
ちなみに、場合によっては人と人との接触に「meet」ではなく「join」の方が使われることもあります。
Wait a little longer, I'll join you soon.
[もう少し待ってて、すぐに合流する]
この場合は単純に会うというよりかは、すでに到着している人に対して、そこに加わる、一緒になる、合流するといったニュアンスを伝えたいので「join」の方がいいでしょう。
さて、他に「meet」の接触の意味がこんな風に使われることも。
The Tigers will meet the White Sox next week.
[タイガースは来週ホワイトソックスと対戦します]
スポーツなどの勝負事において、対戦相手との接触のことを「meet」で表現することがあります。
対戦相手との接触なので、場合によってはぶつかるという日本語に訳されることもあります。
「play」を使って言うこともできるんですが、ニュアンス的には「face」、つまり直面するの方が近いです。
こういった直面するという意味合いの接触においても「meet」が使われることがあります。
日本で対戦相手に「決勝で会おう」なんていうとちょっと気取った感じの言い方になりますが、英語の場合は別に気取って言ってるとかそんなんじゃなく、「meet」がそもそもそういういった接触のニュアンスを持っているだけなんですって話です。
この直面するというニュアンスの「meet」は、対戦相手だけではなく、もっと抽象的なものに対しても使われることがあります。
We meet any difficulty.
私はどんな困難にも接触する(直面する)。
場合によっては、ただ単に困難に接触しているのではなく、逃げようと思えば逃げれるけど、逃げたりせずにに直面する、という意味合いも出てきます。
そういった立ち向かうというニュアンスを持たせたいなら、やはり「face」を使うのが一般的かとは思います。
あるいは「confront」でもいいですね。
He will confront any danger.
[彼はどんな危険にも立ち向かうだろう]
他にも、会うは会うでも「合う」の方で、目線が合うという意味で「meet」が使われることがあります。
視線と視線との接触です。
I fell in love with her the moment our eyes met.
[目が合った瞬間、私は彼女に恋しました]
これと似た表現として、視覚情報や聴覚情報が人の感覚器官に接触することを「meet」で表すことがあります。
日本語でいうところの「目に触れる、耳に触れる」ってやつですね。
Someone's whisper met my ears.
[誰かのささやき声が私の耳に触れた]
出会うという行為は相互性があるので、普通受動態になることはありません。
例えば「太郎君が花子さんに出会いました」という文章を花子さんを主語にして「花子さんは太郎君に出会われました」なんて言い方はしないわけです。
英語の「meet」に関しても同じことが言えるんですが、この「感覚情報と感覚器官との接触」に関しては受動態で言うことができます。
何故なら、情報の方から一方的に感覚器官へと飛び込んできている、という意味合いが強いからです。
My eyes were met by a shocking sight.
[私の目は驚きの光景に接触された]
わかりやすい日本語でいうなら「驚きの光景が飛び込んできた」ですね。
驚きの光景の方が「対象との距離を縮めて接触する」という能動的な側であり、私の目はその対象という受け身の立場です。
相互性が薄まったことでこういった受け身の表現があまり違和感なく成立するわけです。
逆に言うと、受け身で表現することによって相互性を薄めて一方的なニュアンスを作ることができます。