引きこもり英語学習法

素人英語の学習ブログです。

形容詞句か、副詞句か

My son disarranged the papers on the desk.

 

「disarrange」という動詞は、接頭辞「dis」と動詞「arrange」が合わさったものです。

「arrange」は整える、配置するなどの意味で、接頭辞「dis」は否定の意味を持っているので、「dis + arrange」で整えるの逆の意味を表し、散らかす、みたいな意味になります。

取っ散らかってる、って感じですかね。

なので、上の英文「My son disarranged the papers on the desk.」は「私の息子が散らかした」という意味になります。

何を散らかしたのかというと、後ろに続く目的語「the papers」です。

これは「書類」を意味しています。

なので「私の息子が書類を散らかした」という意味ですが、問題はその後の「on the desk」です。

「私の息子が机の上に書類を散らかした」という意味なのか、あるいは「私の息子が机の上の書類を散らかした」という意味なのか。

「on the desk」が直前の名詞「papers」の説明をしているのだとしたら「机の上の書類」という意味になるでしょう。

しかし「on the desk」が動詞「disarrange」の様子を説明をしているのだとしたら「机の上に散らかした」という意味になります。

結論から言うと、この「on the desk」は形容詞句、つまり直前の名詞の説明しており、「机の上の書類」と考えるのが一般的だそうです。

とはいえ、ネイティブに直接アンケートを取ったわけじゃないので、あくまでも私の推測ではありますが「My son disarranged the papers on the desk.」という文章は「机の上に置いてあった書類を散らかした」という意味であって、どこに散らかしたのかは言及されてないって感じです。

別に書類を机の上に散らかしたわけじゃなく、机の上から床に落として散らかしている可能性だってある。

でもこれ、すごく微妙なところなんじゃないかなって個人的には思います。

場合によっては「机の上に散らかした」っていう副詞として「on the desk」が機能することだってあるかもしれない。

 

My boss scattered the documents on the desk.

この文章の場合、「机の上の書類を散らかした」ではなく「机の上に書類を散らかした」っていう意味でとらえる人も多いような気がする。

「scatter」(ばら撒く)という動詞は「何を、どこに」っていう感覚があるから。

それもまあ、個人的な私の感覚なんですが。

この辺、実際のネイティブの感覚を知りたいもんです。

 

My son laid out the papers on the desk.

これは「机の上の書類を並べた」なのか「机の上に書類を並べた」なのか。

 

My boss spilled coffee on the desk.

これは「机の上のコーヒーをこぼした」なのか「机の上にコーヒーをこぼした」なのか。

 

文脈や状況によってどちらの意味にも成り得るということでいいんでしょうか?

それともネイティブは皆、共通してどちらか一方の意味に捉えるのでしょうか?

 

間もないを意味する「hardly」

They had hardly taken their seats when the lights went out.
[彼らが席に着いて間もなく、照明が消えた]

この構文に初めて触れた人が、なんでこんな意味になるんだと疑問に思うのも無理はありません。

「ほとんど席に着いていない」っていうのが、「席に着いて時間がほとんど経っていない」ってことを表しているんです。

順を追って説明しましょう。

 

「hardly」という副詞は「ほとんどない」という否定の意味合いが強いので、準否定語と言われています。

しかしあくまでも、否定の意味合いが強いというだけで、完全に否定しているわけではないのです。

She hardly ever goes to the movies when she's feeling tired.
[彼女は疲れているときに映画を見に行くことはほどんどない]

まったくないとは言っていないので、裏を返せば見に行くことも稀にあるということです。

ちなみに「hardly」の後ろにある「ever」は否定の意味合いをより強めている役割をしており、この場合あってもなくても基本的な意味は大きくは変わりません。

「hardly」は否定の意味合いが強いものの、もともとの軸は肯定にあると言えます。

分かりやすいのが次の文章です。

 

I hardly ever smoke
[私は滅多にタバコを吸いません]

これはつまり、この人が喫煙者であることを意味しています。

非喫煙者ならばこんな言い方にはなりません。

「hardly」という言葉を使っていることが、この人が喫煙者であることを示しているわけです。

このことからも「hardly」が否定と見せかけて実は軸を肯定に置いているというのがお分かりいただけるかと思います。

つまり「hardly」は、厳密にいえば肯定ではあるんだけれど、否定的に言ったとしてもけして過言ではない、というそんなニュアンスを含んでいる言葉なんです。

 

さて、映画の例文にしろ喫煙の例文にしろ、これらはどちらもともに「頻度」に対して否定をしています。

その行為が行われる回数がほとんどない、という回数の少なさを示しているわけです。

しかし「hardly」は回数以外の面でも行為を否定することがあります。

それは、その行為を一応まあやってはいるが、完全にしっかりとやっているとは言い難いという意味の否定です。

つまり、その行為を行っている時間がとても短い場合、それはもはやもう「ほとんどやっていない」みたいなもんだ、という意味での否定です。

 

You were looking at that woman's butt earlier, weren't you?
[さっきあの人のお尻見てたでしょ?]

No, I hardly saw it.
[いや、ほとんど見ていない]

ほんの一瞬見ただけです。

コンマ何秒の世界です。

それってもはや見てないみたいなもんですよね。

彼女が怒るようなことでもない。

 

このように行為が行われている時間が短い場合、「hardly」を使ってその行為が「ほとんど行われていない」という具合に否定することがあります。

それはつまり、その行為が着手されてまだ間もない、という意味にもつながってきます。

 

We can't stop for coffee now, we've hardly started.
[ほとんど始めてないみたいなもんだ、まだ喫茶店に寄るわけにはいかない]

「始めた」と言い切れるほど時間が経っていない、という意味で「hardly」が使われています。

仕事や作業に取り掛かってはいるが、さっき始めたばかりだから「やっている」とは言い難い、もはやまだやってないとすら言える、そんな感じで「hardly」を使っているわけです。

 

たとえば、飲み会の席にまだ到着していない同僚から電話があって、「もう始まってる?」って聞かれたとしましょう。

がっつり始まってるなら「もう始まってるよ」って言えるど、始まって間もないと「いやほとんど始まってないみたいなもんだよ」とも言えるでしょう。

Have you started drinking yet?
[もう飲み始めてる?]

No, it's hardly started yet.
[いや、まだほとんど始まってない]

厳密にいうと始まってはいるんだけど、始まっていないも同然、始まってないにさも似たり、という意味の「hardly=ほどんどない」です。

 

このような理由から「hardly」がその行為が行われて「間もない」という意味で使われるわけです。

The movie had hardly started when I got to the cinema.
[私が映画館に着いたとき、その映画はほとんど始まっていなかった]

始まったと言い切れるほど時間が経過していなかった、要は、始まった直後だった、始まって間もなかった、という意味です。

主節の「映画が始まる」の方が過去完了の形で表現されているのは大過去といって、副詞節の「私が映画館に着く」よりもさらに過去の時制の話をしていることを表しています。

つまり時間の経過順に見てみると、映画が始まって、その後に私が映画館に着いた、という流れになります。

文法的にはこの二つの出来事の間には時間軸のずれがあるのですが、そのずれがほとんどない、もはや同時だったといても過言ではない、そんな意味合いを示しているのが「hardly」です。

I had hardly begun my new job when my boss asked me to do something else.
[私が新しい仕事を始めて間もなく、上司は私に別のことをするように言った]

 

このように「hardly」は「ほとんどない」から発展して「間もない」という意味でも使われます。

そしてこの行動の「間もなさ」を表す「hardly」は、行動の着手だけではなく、行動の完了に対しても同様に使われます。

I had hardly arrived at the party when I realized I had left my phone at home.
[パーティに到着して間もなく、私は家にケータイを忘れたことに気が付いた]

ケータイを家に忘れてきたと気が付いたとき、私はパーティにほとんど到着していないようなもんだった、という意味です。

つまり到着してからほとんど時間が経っていない、到着してないと言っていいくらいそれくらい「間もない」という意味です。

 

これらの文章は「hardly」が表す「間もない」という部分に意味の重点を置きたくなる表現なので、強調構文、つまり倒置で表現されることがよくあります。

Hardly had I finished my dinner when my friends called and asked me to meet them at the bar.
[夕食を食べ終えて間もなく、友人から電話がありバーで会おうと誘われた]

 

また似たような「hardly」の使い方としてこんな表現もあります。

Hardly an hour had passed since the surgery when the patient started showing signs of improvement.
[手術から一時間も経たずに、患者は回復の兆しを見せ始めた]

この「hardly」もやはり「時間がほとんど経過していない」というニュアンスを示しています。

Closing Time

 

I know who I want to take me home.

 

関係代名詞を学んだころ、私はこの文章に出会って一瞬戸惑ったことを覚えています。

「I know who ~」で「私は~な人を知っている」あるいは「私は誰が~なのか知っている」という意味の文章を作ります。

I know who did it.
[誰がやったか知ってるよ]

「who」自体が後に続く動詞の主体になっているか、あるいは対象になっているので、後に続く文章には主語か目的語が欠けているはずです。

I know who I want.

ここで文章が終わっているなら「私は自分が誰を求めているのかわかっている」という意味になります。

「who」は「want」という行為の対象です。

しかし、ここで文章は終わらず、まだ続きます。

I know who I want to take home.

ここで終わるなら「私は自分が誰を家に連れていきたいのかわかっている」という意味になります。

「who」は「take」という行為の対象です。

しかし、ここでもまだ終わらずにもうひと単語続きます。

I know who I want to take me home.

こうなると「take」の後ろに私という対象がいるから「who」の立場がありません。

なんてこった、関係代名詞「who」の居場所はどこなんだ。

しかし冷静になってみれば、「want」という動詞は目的語を二つ取ります。

間接目的語+直接目的語、つまり「want+人+to不定詞」で、「人に~することを求める」という意味になります。

間接目的語の「人」がない場合は「to不定詞」が示す行為を、主語自身が求めている、という意味になります。

間接目的語の「人」なしで直接「to不定詞」を置いく「主語+want+to不定詞」の形で、主語自身がやりたい行為を主張する表現が多い「want」ですから見落としがちですが、この文章は誰かにやってもらいたい、その誰かを関係代名詞「who」で表しているのです。

I know who I want to take me home.

つまりこの文章は、主語の私が誰かに自分を家に連れてってもらいたいと思っていて、誰にそれをしてもらいたいのかを自分で自覚している、という意味の文章なんです。

いやはやややこしい、って最初は思ったもんですよ。

「take」のあとに「me」があるかないかで、主語の私が誰かを家に連れて帰りたい側なのか、誰かに連れて帰ってもらいたい側なのかが変わってくる。

それはつまり「who」が何を指しているのかが変わってくる、ということでもあります。

「me」が無いただの「who I want to take home」なら私は家に連れて帰る側、「who」が連れて帰られる側、「me」のある「who I want to take me home」なら私が家に連れて帰られる側、「who」が連れて帰る側、ということになります。

どちらの場合も「who」が「I(私)」に「want(要求)」される立場なのは同じなんですが、「take」の主体になることを求められているのか(俺を「take home」しろという意味なのか)、「take」の対象になることを求められているのか(俺に「take home」されろという意味なのか)、あとに「me」が続くかどうかで決まります。

逆に言うと「take」の後を聞かないことには意味が定まらない。

「me」が聞こえた瞬間、あるいは聞こえなかった瞬間に、ネイティヴはそれを一瞬で理解するわけですから大したもんです。

 

しかしこれも自分で何度も口にしていれば、意味や文の構造が脳に馴染んでくるもんです。

Nobody knows who he told not to come here again.
[彼が誰に「もう二度とここに来るな」って言ったのかは、誰にもわかりません]

これも文の構造としては一緒ですが、こっちはわかりやすい。

「tell」が人という間接目的語をとるのはお馴染みなので「who」の居場所がそこだってのが分かりやすく、to不定詞になってる「come」もふつう人を目的語に取らないで「who」の居場所がそこじゃないってのも明白。

「who he told ○○ to come here again」という感じで、「who」の入るべき空白部分が分かりやすいわけです。

しかしこれが「want」になった途端、意味も構造も見失ってしまったあの頃の私。

しかし文法のルールに当てはめて考えれば、「want」の間接目的語の人が抜けていて、そこに「who」の居場所があるってことに気付けるはず。

そして構造に気付ければ意味も分かってくるはず。

そういう英語の読解って、なんか謎解きみたいで好きなんですよね。

take on a life of its own

 

日本語と英語で言い回しが違うっていう表現はたくさんあります。

たとえば、自分がなんとなく口にした発言が、その後自分の意思とは関係なく良くも悪くも次々に世の中に影響を与えていったとしましょう。

そんな時日本語では「私の発言が独り歩きしている」なんて言い方をします。

でもこの「独り歩き」という表現は日本語において浸透した言い回しであって、それをそのまま英語に直訳して「walk alone」なんて言っても駄目です。

いや、意味はなんとなく分かってもらえるとは思いますが、もっと英語の世界で浸透した言い回しがあるんです。

それが「take on a life of its own」です。

「take on」は他動詞+副詞からなる句動詞で、いろんな意味に使われますが、この場合「とある性質や外観などを持つようになる」という意味で使われています。

Her face took on a fierce expression.
[彼女の顔は険しい表情を身にまとった]

 

「a life of its own」は「それ自身の命」という意味です。

つまり「take on a life of its own」とは、「それ自身の命を身にまとったかのようになる」という意味です。

一見すると何のことを言っているのかよくわかりませんが、これで日本語でいうところの「独り歩き」の意味になります。

独り歩きという日本語を辞書で調べると次のようにあります。

当初の趣旨や意図とは関係なく勝手に動いていくこと。

つまり、それ自体がまるで独自の命を持って動いているかのようになる、という意味なわけです。

私の発言がまるでそれ自体の命を持っているかのような様相を呈してきた、という文章はすなわち「私の発言が独り歩きしいる」という意味につながるのです。

 

It seem that my words are taking on a life of their own.
[私の言葉が独り歩きしているようだ]

Just one part of what he said got picked up by the media and took on a life of its own.
[彼の発言のほんの一部分がメディアに取り上げられ、独り歩きした]

Slowly but surely, the project is taking on a life of its own.
[ゆっくりと、しかし確実に、その計画は独りでに動き出している]

 

独り歩きをする、独りでに動き出す、独自の命を持つ、などなど、いろんな言い回しがありますが、言いたいことは共通していると言えるでしょう。

関節疑問文の落とし穴

Why do you think he is lying?

この文章は二つの解釈ができます。

それは冒頭の「why」と動詞「think」の関係性をどうとらえるかがカギとなります。

冒頭の「why」を副詞として捉えて動詞「think」にかかっていると捉えれば「何故○○(従属節)だと思うのですか」という意味になります。

一方で「why」を動詞「think」の対象、つまり目的語として捉えるならば「○○(従属節)なのは何故だと思いますか」という意味になります。

「何故思う?」と「何故だと思う?」の違いです。

 

別の言い方をするなら、冒頭の「why」が主節の動詞「think」と繋がっているのか(何故思う?)、従属節の動詞「lie」と繋がっているのか(何故だと思う?)、ということです。

 

前者の捉え方(「why」が主節にかかっているという捉え方)は「彼が嘘をついていると、何故あなたはそう思うんですか」という意味。

後者の捉え方(「why」が従属節にかかっているという捉え方)は「彼はなぜ嘘をついているのか、あなたはどう思いますか」という意味。

 

前者は動詞「think」の対象となる名詞節を作る従位接続詞「that」の省略、後者は動詞「think」の対象となる名詞節を作る疑問副詞「why」が冒頭に押し出された間接疑問文。

二つの意味の大きな違いは、前者は彼が嘘をついているかどうかは未確定ではあるけれど相手が一人でそうであると決めつけている場合での質問なのに対して、後者は彼が嘘をついていることを両者がともに共通の認識として持っており、その上での質問になっています。

状況によってどっちの意味で言っているのかを解釈しなければならないのは、なかなか初心者泣かせではあります。

 

副詞としての「why」(すなわち主節に対する「why」)の場合、副詞なので直接文の骨組みには関わっていないわけですから、あとから付け足すことで意味を成立させることもできます。

Do you think that he is lying? why?
[あなたは彼が嘘をついていると思うんですか、なぜ?]

一方で「why」が副詞ではなく「think」の対象となっている場合(つまり「why」が主節の動詞の対象かつ従属節にとっての副詞として存在している場合)、その「why」は文章の骨組みの一部となっているので、切り離すことはできません。

その場合、次のように冒頭の疑問詞が完全に動詞の対象として文に組み込まれた構造で尋ねることが出来ます。

What do you think is the reason he is lying?
[彼が嘘をついている理由は何だと思う?]

「What do you think」でまず「何だと思う?」と訊いてから、その「何」に関する詳しい説明を付け加えているという構造の文になります。

この場合「what」は主節の動詞の対象かつ従属節にとっての主語として存在しています。

連鎖関係疑問文です。

 

前者の意味であること(彼が嘘をついているかは不確かだが相手が一方的にそう考えている場合の問いかけ)を明確にする言い回しとして、他にも以下のようなものがあります。

What makes you think he is lying?
[何があなたに彼が嘘をついていると思わせるんですか]

これなら間違いなく前者の意味です。

この言い回しが一番確実で分かりやすい気がします。

同じ「make」を使って後者の意味(彼が嘘をついているのが互いの共通認識となっている場合の問いかけ)を確実に伝えるなら次のような言い方もできます。

What do you think makes him lie?
[何が彼に嘘をつかせていると思いますか]

 

この紛らわしい現象は他の疑問副詞でも起こり得ます。

When do you think dinosaurs became extinct?

これも冒頭の「when」を主節にかかっていると捉えるなら「あなたが『恐竜は絶滅した』っていう風に考えるのはいつなんだ?」という意味になります。

恐竜はまだ絶滅していないって主張している学者に対しては、こういった意味の発言もあり得なくはない。

ただこの場合もやはり関節疑問文と考えるのが普通かと思います。

つまり冒頭の「when」は動詞「think」にとって副詞ではなく行為の対象となる名詞節と考えるのが普通です。

別の言い方をするなら、冒頭の「when」は主節の「あなたは考える」ではなく、従属節の「恐竜が絶滅した」にかかっていると考えるのが普通です。

「従属節の内容をいつ考えるのか」ではなく、「従属説の内容をいつだと考えるのか」という意味です。

恐竜が絶滅したのはいつだと思いますか、って意味ですね。

第5文型の落とし穴

You will find this book easy.

英語につたない人の中には、この文を「あなたはこの本を簡単に見つけるでしょう」っていう意味だと思ってしまう人がいます。

ここでの「find」は物体そのものを見つけ出すという意味よりも、とある事実を見つけ出すという意味に近い。

「This book」が「easy」であるという事実を見つけ出す、その事実を知る、という意味です。

一見難しそうな本に見えるけど、読んでみればそうでもないってわかるよ、ってな感じですね。

いわゆる第5文型SVOCで、「O=C」って参考書などには載っているやつですね。

 

じゃあ、見つけるという行為が簡単に行われるという意味を言いたい場合はどうしたらいいのか。

その場合、「簡単に」という言葉は「this book」という名詞に作用するのではなく「find」という動詞に作用するので、「easy」という形容詞ではなく「easily」という副詞を使わなければなりません。

You will find this book easily.

これでまあ「君は簡単にこの本を見つけるでしょう」って意味になるんですが、これだと第5文型SVOCと配置が同じでややこしい気もします。

英語っていうのは語順で意味が作られるので、この配置はそういった意味でも紛らわしいと言えます。

副詞は文法的に置く場所が絶対的に決められているわけではないのですが、動詞にかかるわけですから、場所や時間などの場合を除き動詞のそば、いわゆるミドルポジションに置いた方がわかりやすいです。

You will easily find this book.

この方が英語っぽいです。

否定疑問文

 

英語には否定疑問文なるものがあります(まあ日本語にもあるんですが)。

Didn't you buy it even though it was half price?
[半額なのに買わなかったんですか]

ちなみに「even though ~」で「~であるにもかかわらず」という意味を表します。

なぜ普通に「Did you buy it?」と言わないのか。

なぜ普通の肯定形の疑問文で質問せずに、「Didn't you buy it?」と否定形の疑問文で質問するのか。

それには理由があります。

それは話者の中にある「そうであって当然、肯定であって当然(この場合、買って当然)」という感覚が、否定形で質問せているのです。

つまり、話者の中にそうであって当然、肯定であって当然という感覚があるために、そうじゃないとわかったときに、驚きや疑念といった感情が生じ、それらの感情とともに、自分の中にある肯定の感覚を相手にぶつけるという意味で、否定形での質問にしているわけです。

「買ったんですか?」と肯定の形で聞かずに、「買わなかんですか?」という否定の形で尋ねるその裏には、「買ってしかるべきなのに」とか、「買えばよかったのに」などといった気持ちが含まれているわけです。

このように否定疑問文というのは、話者の中にある肯定の感覚を相手に押し付ける文章表現なわけです。

Have we met before?

これなら単純に、以前に会ったことがあるかどうかをただ相手に聞いているだけです。

しかしこれが否定疑問文になると…。

Haven't we met before?

こうなると、話者の中に「以前に会ったことがある」という肯定の感覚、肯定の可能性が存在していることを意味しています。

それを相手に押し付ける形で質問しているのが否定疑問文です。

前にどこかでお会いしてません?

って感じですね。

付加疑問文において、肯定文の後に否定形の疑問を添えるのも、まあいわばそういった理由からです。

You should have bought it, shouldn't you?
[あなたはそれを買うべきでした、そうじゃない?]

You felt that even at half the price it was still too expensive, didn't you?
[あなたは半額でもまだ高いと感じた、違う?]

このように、肯定の感覚があるからこそ、その感覚を否定の形にして相手に投げかけるという場面はよくあります。

たとえば、相手に何かしら自分の意見を提示して、それでも相手が決めあぐねていたり、あるいは提示した意見になびこうとしていたり、そういった反応を示す相手にこんな言葉を投げかけることがあります。

Isn't that right?

私の言ってること、正しくないですか?

否定疑問文にすることで「私の意見は正しい」という肯定の感覚を「正しいよね?」って感じで相手に押し付けているわけです。

会話でよく出てくる「Isn't it?」もそうです。

否定形で投げかけているということは、単純にそうであるかどうかを聞いているのではなく、自分の中にある「そうである」という肯定の気持ちを相手にぶつけているわけです。

それは正しいことでしょ?、肯定されてしかるべきことでしょ?っていう感覚です。

「Isn't it?」は補語もないので、もっというなら「だろ?」とか「でしょ?」に近い感じですね。