引きこもり英語学習法

素人英語の学習ブログです。

if it were not for

 

If it were not for you, I wouldn't be now.
[あなたがいなければ、今の私はないでしょう]

「if it were not for A」で、なぜ「もしAがいなければ」という意味になるのか。

それを言うなら「if there were not A」や「If there were no A」じゃないのか。

そんな疑問を持つ人もいるでしょう。

まず「it」という単数形の主語に対して「were」が使われているのは、これは単純に仮定法だからです。

実際とは違う世界の話をしようとしている表明です。

 

そもそも「It is for A」といえば、これはどういう意味になるでしょうか。

「それはAのためです」となるのが普通です。

しかしこういう解釈もできます。

それはAが理由です。

あるいは、それはAが原因です、と言い換えてもいい。

前置詞「for」が理由や原因を表すことがあるからです。

I could not sleep for hungry last night.
[昨夜は空腹で眠れなかった]

空腹という状態に意識が向かったせいで眠れなかった、ということです。

つまり、空腹という存在の影響を受けて眠れないという結果が発生するわけです。

このように「for」のあとに結果を生み出す元となる影響やきっかけとなる存在を置いて、その結果の理由や原因を示すことがあります。

「if it were not for A」もこれと同じです。

If it were not for you, I wouldn't be now.

あなたに意識が向かっていなければ、あなたを求めていなければ、今の私はいないだろう、ということです。

つまり、今の私が存在するという結果に対し、その影響やきっかけになっているのが「あなた」という存在なわけです。

なので、もしその存在がないという実際とは違う世界の話をするときに、「if it were not for you」という表現が出てくるわけです。

どちらかというと「if it were not for A」は、Aという存在の影響を受けていなければ、という意味になりますね。

If it were not for the sun, plants couldn't grow.
[もし太陽という存在の影響がなければ、植物は育たないだろう]

これらの文は冒頭でも言いました「if there were」で表現することもできます。

If there were no sun, plants couldn't grow.
[もし太陽が無かったら、植物は育たないだろう]

 

いずれにしても「if it were not for A」におけるAが、Aという存在そのものではなく、「for」によって何かに影響を与える存在としてのAという意味になっていることを、しっかり把握した方がいいでしょう。

cannot help doing

 

「help」といえば助けるという意味でおなじみですが、けしてそれだけで済むような言葉ではありません。

誰かを助けるということは、その人をどうこうすることによって、その人が抱えている困難を取り除く、ということです。

なので「cannot help」で、助けられないという意味の他に、どうすることもできないとか、取り除くことができないなどの意味に使われることがあります。

特に何らかの行為に対して、どうすることもできない、取り除くことができない、避けることができない、という意味合いで使われます。

I cannot help laughing.

笑うという行為に対して、どうすることもできない、手立てがない、だから笑うという行為がそのままにされている、笑うという行為を取り除くことが出来ずにそのままになってしまっている、つまりは笑うという行為を禁じ得ない、ということです。

この場合、我慢することができないって感覚に近いです。

自分で自分を制御できないって感じですね。

I couldn't help having some dessert.
[デザートを食べすにはいられなかった]

自分の制御や支配の枠をはみ出しているため、自分ではどうすることもできないといった意味を表す「cannot help doing」ですが、動名詞の「doing」の部分を「but+動詞の原形」で書き換えて表現されることもよくあります。

I cannot help but admire her.
[彼女を称賛せずにはいられない]

「cannot help」はどうすることもできない、手立てがないみたいな意味ですが、そのあとの「but admire」は褒めるという行為を除いて、という意味です。

どうすることもできないけど褒めることだけはできる、みたいなニュアンスですね。

あるいは、「help」がそれだけだと取り除くという意味なのか助けるという意味なのか判別がつきにくいところを、後ろに「but」を置いて「help but」とすることで、取り除くという意味であることを明確にしている、とも捉えることができます。

つまり、彼女を褒めるという行為を取り除くことができない、どうしても褒めてしまう、みたいなニュアンスです。

こういった「一部の例外を除いて」という意味の「but」の使われ方として、「have no choice but to do」という慣用表現があります。

I had no choice but to admire her.
[彼女を褒めるしか選択肢がなかった]

ただこの場合は、状況的にそうするしかなったみたいな意味になります。

別に褒めたかったわけではないけど、あの場では状況的に褒めるしかなかった、みたいな。

それに対して「cannot help but do」の方は、気持ち的にそうすることを抑えることができない、だからそうしてしまう、みたいな意味合いです。

Everyone couldn't help but applaud her.
[誰もが彼女に拍手を送らずにはいられなかった]

自分の制御や支配が及ばないという意味を持つ「cannot help」は、ときにやむを得ないとか、仕方ないといった不可抗力を表すこともあります。

I couldn't help overhearing their conversation.
[私は彼らの会話を聞いてしまいました]

そんなつもりはなかったけど、やむを得ずそうなってしまったって意味合いです。

また、受け身の形をとって、とある状況を指し「そいつはどうしようもない」みたいな意味で使われることもあります。

It's too bad that we have to leave him, but it can't be helped.
[彼と別れるのは非常に残念だが、それはどうすることもできない]

「cannot help」が対象をどうこうすることができないという意味で使われるのに対し、「can help」が対象をどうこうすることができるという意味で使わることがあります。

たとえば「if I can help it」で「私がそれをどうこうできるのであれば」という意味で使われたりします。

I don't want to do that if I can help it.
[できることならやりたくないです]

他にも「can help」(対象をどうこうすることができる)がこんな使われ方をすることも。

Can I help it if no one listens to my advice?
[誰も私の言うことを聞かない場合、それを私がどうにかすることができますか]

要は、「それって私が悪いんでしょうか?」みたいな意味合いですね。

また「cannot help」が自分の制御や支配が及ばないという意味を含むために、そのあとに「oneself」を置いて単純に自分自身を制御できないという意味合いで使われることもあります。

その場合でもやはりこれまで同様、どうすることもできない、どうしようもない、仕方がない、といったことを表しています。

I knew I shouldn't go there, but I couldn't help myself.
[そこに行くべきじゃないとはわかっていたが、自分を制御できなかった]

このように「help」をただの「助ける」という意味で捉えるんではなく、「対象をどうこうして丸く収める」みたな広い意味合いで捉えていれば、「cannot help doing」などの発展系の「help」の使われ方にも対処できるでしょう。

 

ちなみに「cannot help doing」、「cannot help but do」のほかに、同じ意味として「help」を使わない「cannot but do」という表現もあります。

「cannot」が「できない」、「but do」が「その行動を除いて」、なので「cannot but do」で「その行動だけしかできない」という意味になります。

「cannot help doing」や「cannot help but do」同様、どうしようもない、そうせざるを得ないといった意味で使われます。

If that happens, I cannot but run away.
[もしそうなったら逃げ出すしかない]

ただこの「cannot but do」、参考書とかに載っているのを目にするくらいで、実際に使われているのはあまり見たことがありません。

would as soon do as

 

英語では、友人をパーティに誘ったときに、こんな言葉が返ってくることがあります。

I would just as soon stay at home as go to the party.

ここでの「would」は、直接的ではなく婉曲的に自分の意思を表現する助動詞です。

実際にするかどうかはさておき、もし許されるなら、もし構わないのなら、私にはこういったことをする意思があります、という遠慮気味な主張を表しています。

「just as soon」は、ちょうど同じくらい速やかに、という意味の副詞句で、動詞すなわち行為を修飾しています。

その修飾している動詞というのが「stay at home」、家にいるという行為です。

「I would just as soon stay at home」という文章は、私は家にいるという行為をちょうど同じくらい速やかにやってみせる意思があります、ってことを言ってるわけです。

何と同じくらい速やかにやってみせるのかということが、接続詞「as」(~と比べて)以下で示されています。

「as go to the party」なので、パーティーに行くのと比べて、それと同じくらい速やかに、家に滞在するという行為をやってみせる意思がある、ということです。

要は何が言いたいのかというと、「パーティーに行くのもいいけどさ、それと同じくらい家にいるって行為をやりたいんだよね」って主張しているわけです。

文章上ではあくまでも「as」(同じくらい)ってことになってますが、話者の本音としては、家にいたいってのが実際の気持ちです。

同じと言いながらも、やんわりとパーティーに行くのを断っている表現です。

もちろん、明確に家にいる方がいいと表現する場合もあります。

I would sooner stay at home than go to the party.

直訳すると、私はパーティーに行くよりも家にいるという行為の方をよりすぐにやってみせる意思がある、という意味です。

「速やかに行う、すぐさまに行う」という意味の副詞「soon」を指標にして、二つの行為を比較して、どちらをよりやりたいのかという話者の意思を表現しています。

比較の指標にしている基準が「soon」なので、厳密に言うと「先にやりたい」って意味になります。

パーティに行くという行為よりも、家にいるという行為の方を先にやりたい、ってことになります。

けしてパーティーに行くという行為自体を強く否定しているわけではないと言えます。

パーティーに行くという行為もいいけど、それよりかは家にいるという行為の方に気持ちが傾いている、ということを意味しています。

なので日本語としては、「~するよりはむしろ」とか、「~するくらいならまだ」みたいな感じで訳されることもあります。

 

「soon」を使って行為に対する気持ちの優劣の差を表現するのは、あくまでも慣用的な表現方法です。

二つのことを比較したときに、大きく違っているわけではないが、若干程度に一方の方が上回っている、というニュアンスを率直に表す副詞としては「rather」という単語があります。

どちらかに決めろというなら、強いて言うならこっち、みたいな感じで、日本語でいう「どちらかというと」とか、「むしろ」みたいなニュアンスを持つ言葉が「rather」という副詞です。

I would rather stay at home than go to the party.
[パーティに行くよりかは家に居る方がいい]

 

「would as soon do as」を使ってこんな文章を作ることもできます。

I would just as soon die as quit smoking.

直訳すると、タバコをやめるとの同じくらい速やかに死んでしまいたい、という意味です。

本当に死にたいって言ってるわけじゃなく、話者が言いたいのは、それくらいタバコをやめるのが嫌だってことです。

俺の中でタバコをやめるって行為は死ぬって行為に匹敵するぜってニュアンスですね。

タバコをやめるのと同時に死んでしまいたい、と言ってもいいでしょう。

 

もちろん「sooner」や「rather」で表現することもできます。

I would sooner die than quit smoking.

I would rather die than stop smoking.

どちらもともに「タバコをやめるくらいならまだ死んだほうがいい」という意味です。

 

meet with something

 

Daniel met Elena.
[ダニエルはエレナに出会った]

これはダニエルが一方的にエレナに出会った、という文章です。

エレナがダニエルに出会ったのかは定かではありません。

エレナの方はそうは認識していないかもしれません。

とにかくダニエル視点で一方的に表現した文章です。

 

これを一方的ではなく表現する方法として、両者を共に主語に置く、というのがあります。

Daniel and Elena met.
[ダニエルとエレナは出会った]

これで一方向性は消えました。

間違いなく両者が互いを「meet」の相手として認識しているはずです。

 

他にも前置詞「with」を使う方法もあります。

Daniel met with Elena.

これも一方向性が消えた表現です。

ダニエルの方からエレナに「meet」しているのと同時に、エレナの方からもダニエルに「meet」しているという双方向性が生まれます。

しかし、出会うという意味合いは弱まります。

 

「meet」は、最初の接触、事前に取り決めた上での接触、会話を伴う接触、という意味が優位的に働きます。

そして前置詞「with」の存在が、両者が同意の元で一緒になる、というニュアンスをもたらします。

なので「Daniel meet with Elena.」は、ダニエルとエレナが出会うというよりも、ダニエルとエレナが共に事前に取り決めた上で会って話をする、という意味合いが強い。

日本語でいうなら「ダニエルはエレナと面談しました」という感覚に近い。

 

しかし、それは対ヒトにおいてです。

人以外の抽象的なものを相手にした場合、そうはなりません。

Daniel met with an accident last year.
[ダニエルは昨年事故に遭った]

この場合、両者の同意の元ではなく、神様や運命といった上位の存在の元で一緒になる、というニュアンスが生まれます。

これは下位次元共同型の自動詞表現です。

どちらから「meet」しようとしたわけでもなく、上位の存在の影響によって僕らって「meet」したよね、っていう感じの共同性です。

なので、図らずも結果としてそうなる、って意味合いが出てきます。

 

ちなみに、事故に対しては「have」を使う方が一般的な気がします。

Daniel had an accident last year.

 

このように「meet with」は、人を相手にする「meet with someone」の場合は、面会や面談の意味合いが働きます。

一方で、抽象概念を相手にする「meet with something」においては、遭遇するという意味合いが働きます。

あうはあうでも「遭う」の方ですね。

「meet with something」についてもう少し例を見てみましょう。

 

His views have met with public opposition.
[彼の意見は世間の反対に遭いました]

抽象概念と抽象概念との接触です。

賛成や反対といった周囲の反応との接触に「meet with」が使われることがあります。

「opposition」というマイナスの反応があるんなら、当然逆のプラスの反応に遭うことだってあります。

Her ideas will meet with widespread support.
[彼女の発想は幅広い支持に遭うだろう]

「meet with」ではなく、直接「oppose」や「support」といった動詞を使って表現することもできます。

His views are opposed by the public.
[彼の意見は世間から反対されている]

Her ideas are widely supported.
[彼女の発想は広く支持されている]

 

賛成反対という反応との接触の他に、成功や失敗という結果との接触に「mee with」が使わることもあります。

Our attempts finally met with success.
[私たちの試みがついに成功した]

Your long-standing plan may meet with failure.
[あなたの長年の計画は失敗に終わるかもしれません]

この場合でもやはり、直接「succeed」や「fail」という動詞を使って表現することができます。

Our attempts finally succeeded.

Your long-standing plan may fail.

 

人と抽象概念との接触に話を戻しましょう。

先程の事故以外にも、人が抽象概念に接触することを「meet with」で表現することがあります。

Anyone who goes there can meet with kindness of people.
[そこに行けば誰でも人の優しさに触れることができる]

We met with many adventures on this trip.
[我々はこの旅で多くの冒険に触れた]

このように、人と抽象概念との接触に「meet with」を使うことで、経験や体験を表すことができます。

これらの文章は、「with」を付けずに「meet」だけで表現しても、さほど変じゃないでしょう。

しかし事故に対しては「meet」だけでなく「with」を付けるのが慣用的になっています。

 

人と抽象概念との接触に「meet」を使う場合、気を付けなければいけないことがあります。

それは、接触する相手が「到達すべきライン」を意味する言葉の場合です。

たとえば、目標や基準など。

そういった到達すべきラインを意味する言葉に「meet」を使うと、それはそのラインへの接触を意味して、「会う」ではなく「満たす」という意味になります。

He met the goal after many years of effort.

この文は普通、長年の努力のあとでその目標に出会った、という意味にはとりません。

長年の努力の末に、目標という目に見えないラインにやっとこさ接触した、という意味です。

目標達成を意味している文章です。

目に見えないラインと「meet」の関係については、詳しくは以下の記事をご参照に。

目に見えないラインとの接触 - 引きこもり英語学習法

have to do with

 

英語っていうのは言葉の裏を読ませたがるもんです。

たとえば、一緒に何かをするときに相手との間に存在している繋がりとか。

 

I have to work with Leonardo.
[私はレオナルドと一緒に働かなければならない]

「私」一人ではだめで、レオナルドがいなきゃいけないわけです。

「私」はレオナルドという存在を必要としているわけです。

つまり、「私」にとってレオナルドは決してどうでもいい無関係な存在ではないということです。

「私」にとってレオナルドは無くてはならない存在です。

一緒に何かをしなきゃいけない相手ってことは、それだけ相手との間に繋がりが存在しているということになります。

 

I have to do homework with Leonardo.
[私はレオナルドといっしょに宿題をしないといけない]

これもいわば、「私」にとってレオナルドとの間には、一緒に宿題をすべき関係性が存在しているということになります。

では次の文はどうでしょう。

I have to do with Leonardo.

この場合、「do」のあとに目的語がありません。

「do」のあとに直接「with」が置かれています。

これだけだと漠然とし過ぎていて、二人が何をするのかがわかりません。

それでも、ただ一つ確かなことがあります。

それは「私」にとってレオナルドは、何らかの繋がりをもった相手であるという事実です。

だって、一緒に何かをしなきゃいけない相手なんだから。

そこで、漠然とした「do」は言葉の意味を控え、その裏にある確かな両者の繋がりだけがピックアップされる。

この文章に「する」という意味はありません。

I have to do with Leonardo.

「私はレオナルドと関係があります」

ただそれだけを意味する文章です。

 

実はこれ省略された表現で、実際はこうです。

I have something to do with Leonardo.

直訳すると「私はレオナルドと一緒にやるべきことがある」という意味ですが、実際にはその言葉の裏を読ませる文章です。

一緒にやるべきことがあるってことは、レオナルドに対して何かしらの繋がりが存在しているってことです。

言葉の裏にあるその繋がりを読ませるべく、「do」自体は飾りと化し己の意味を控えます。

なのでやはりこの文章も、特に「する」という意味はありません。

I have something to do with Leonardo.

ただ単に「私はレオナルドと関係がある」ということだけを示している。

 

実際には、この表現が人と人との関係性を示すことは稀だという印象があります。

Your illness has to do with your daily life.
[あなたの病気はあなたの日常生活と関係があります]

His new Job has something to do with computers.
[彼の新しい仕事はコンピューターと関係があります]

 

また「something」の部分を他の単語に置き換えることで、関係性の度合いを言い変えることができる。

The accident has nothing to do with this heavy snow.
[事故はこの大雪とは何ら関係ありません]

「have nothing to do with」(共にするべきことは何もない)、イコール「何も関係はない」という意味です。

 

「have to do with」のように、2つ以上の物事の間に関連性が存在していることを示す言葉としては、その他にも「relate to」、「relevant to」、「concern」などがあります。

Don't ask questions not related to the lecture.
[講義に関係のない質問はしないでください]

I don't know if this is relevant to you or not.
[あなたに関係あるかどうかは知りませんが]

That doesn't concern me.
[それは私には関係のないことです]

How come?の正体

 

「何故?」と聞きたいとき、英語では「Why」を使います。

それとは別に、「How come」を使うこともよくあります。

How come you broke up with Selena?
[どうしてセレーナと別れたの]

初めて「How come」という表現に出会ったとき、文法的な疑問を抱くのは避けて通れないでしょう。

実はこれ、「How come」のあとに続く文章は「that節」すなわち従属節なんです。

 

「come」には「来る」という意味の他に、とある状況や状態に「なる」という意味もあります。

My bow tie came undone.
[蝶ネクタイがほどけた]

これは「主語が○○な状態になる」という第二文型「SVC」の文章です。

「come」の後ろに副詞の「about」を付けることで、状態や状況そのものを主語にして、主語自体が発生するという意味の第一文型「SV」の文章を作ることができます。

This situation came about because of me.
[私が原因でこのような状況になりました]

この「S come about」(Sという状況が発生する)という意味の文章は、形式主語構文として表現されることがあります。

It came about that he broke up with Selena.
[彼がセレーナと別れるという状態が発生しました]

これを、どのようにしてそういった状況が発生したのかについて知りたい場合、「How」を使って尋ねます。

How did it come about that he broke up with Selena?
[どのようにして彼はセレーナと別れることになったのか]

この「How did it come about that ~?」(どのようにしてそうなったのか)が簡略化したのが「How come ~?」です。

How come he broke up with Selena?
[どうして彼はセレーナと別れたの?]

 

なので「How come」はその状況に至るまでの経緯についての問いかけと言えます。

場合によっては問いかけというよりも、その状況に対する驚きや不満といった感情を表す意味合いが強くなることもあります。

簡略化された表現だけに、くだけた言い回しなので、目上の人相手に使うのは少し失礼な感じもします。

「How about?」と「What about?」の違い

 

「How about ~?」と同じような表現として「What about ~?」というのがあります。

これらは同じような使われ方をすることもありますが、場合によっては、話者の気持ちがこの2つを使い分けさせることがあります。

 

How about next Tuesday?

この文は、相手に対して「来週の火曜日はどうですか」っていう、日取り決めをするにあっての相手の意向を確認する感じです。

一方で、来週の火曜日に既に予定の入っている人が、その日に別の予定を入れたりしたら、来週の火曜日はどうするつもりなんだ、という具体的なことを聞きたくなります。

そういったときに、

What about next Tuesday?

という言い方をします。

 

「How about ~?」が相手の気持ちや感覚をふんわり尋ねる柔らかい表現なのに対して、「What about ~?」は相手の考えや意見を具体的に尋ねる堅い表現、という違いがあります。

具体的にどうなっているのか、どうするのか、ということを聞きたい場合に「What about ~?」の方を使います。

 

たとえば、引っ越しをするに当たって家の荷物を要る物と要らない物とに分けるとしましょう。

新しい物に買い替えるからこれは要らないとか、思い出の品だからこれは残そうとか、一つ一つに対して、要るか要らないかの具体的な答えが下されるわけです。

そういった場合は、「How about ~?」よりも「What about ~?」の方が使われがちです。

What about these books?
[この本はどうするんですか]

これがもし「How about these books?」だったら、これらの本に対してどういう印象がありますか、という広い意味での質問といった感じがあります。

そうではなく、これらの本をどうするのか、という具体的な処遇を訊きたいわけですから、「How」ではなく「What」が使われます。

 

他にもたとえば、結婚式やパーティなどの集いの場に、誰が参加して、誰が参加しないのか、という具体的な点に関して尋ねるときも同じくです。

What about Michael?
[マイケルはどうなってるんですか]

これもやはり「How about Michael?」だと、ただ単にマイケルという人物に対してどういう印象を持っているのかという広い問いかけになります。

そうではなく、マイケルが集いの場に参加することになっているのかどうか、という具体的な事実を知りたいわけですから、その場合「What」の方を使うことが好まれます。

 

このように、具体的な事実がどうなっているのか、どうするのかといったことを知りたいという話者の気持ちが、「How」ではなく「What」を使わせることになります。