もしも英語が使えたら。
英語を勉強している人なら誰だってそんなことを考えるでしょう。
というよりも、そんなことを考えるからこそ英語の勉強をしている、みたいなところがある。
そう普通の人は。
私はそんな普通の人間ではない、なんて言うつもりはありませんが、私の場合、英語を使えるようになりたいって気持ちが希薄なんですよね。
もしも英語を使えたら、海外旅行をたくさんしたいとか、海外に住みたいとか、そんな気持ちが全くない。
引きこもり人間の私は、誰かとコミュニケーションをとりたいって気持ちがそもそも希薄です。
日本人相手に日本語で喋ることでさえ、そんなに好きってわけでもないのに、いわんや英語をや、です。
じゃあなんで英語を勉強しているのか。
英語を勉強するっていう行為自体がなんか好きなんですよね。
本来は、英語を勉強するという行為は英語を使えるようになるための手段のはずです。
でも私の場合、その目的と手段の関係が成立していない感じなんです。
英語学習自体が私にとっての目的になってる。
だから何十年かけて英語を勉強して、その結果英語が使えなかったとしても、別にいいっちゃいいんですよね。
英語の勉強自体がおもしろかったって思えるから。
英語圏に生まれてれば英語が自然と喋れたのにって言ってる人がいましたが、その発想も私にはない。
英語圏に生まれちゃったら英語を勉強する楽しさを味わえないじゃないか、って思ってしまう。
第三言語、第四言語って次々と言語はマスターしていく人がいますが、ああいう人の気持ちが私にはわかります。
自分が扱えない言語ってなんか面白いんですよね。
よく面白い映画とか小説なんかに対して、記憶を消してもう一度見たい、読みたいなんて言う人がいます。
もしも英語が使えるようになったら、その能力を削除して、もう一度一から英語学習を満喫したい、そんな気すらします。
でもそれが叶わないから、さらに別の新たな言語の学習をする。
それが次々に言語をマスターする人の心理なんじゃないかと思います。
じゃあなんで、自分の扱えない言語を人は面白いと感じるのか。
よく、英語と日本語は全然違う言語って言われます。
ヨーロッパの人に比べると、日本人にっとの英語は難しいって言われます。
日本語と英語、語順からして全く違います。
でも、違っていればいるほど、面白いと感じてしまう。
もし、日本語に似ているそっくりな言語があったとして、たぶんその言語にはあまり興味が沸かないし、学習しようとも思わないでしょう。
それがたとえ世界第一の言語であったとしても。
だからヨーロッパの人が英語を学習するよりも、日本人が英語を学習する方が、より英語の面白さを堪能できていると思います。
たとえば、誰かのおかげで自分が幸せな時、日本人なら「あなたがいてくれて私は幸せです」って言い方をします。
でも英語はあまりそんな言い方をしない。
You make me happy.
あなたは私を幸せにします、ってそう言うんですよね、英語圏の人って。
日本人はそんないい方しませんよね。
何じゃその言い回しって感じです。
こういう表現に出会ったとき、痺れるんですよね。
まさに英語が面白いと感じる瞬間。
たとえば、見知らぬ場所で目が覚めた時、日本人なら「どこだここは?」って言いますよね。
でも英語圏の人はそんないい方しない。
Where am I?
私はどこにいるの、って言うんですよね。
日本人からしたらなんじゃその言い方って感じなんですが、これがたまらなく面白い。
こういう表現に出会えるから英語学習は辞められない。