行為の主体が複数存在することを前提とし、その複数の主体が互いに作用し合って成立する行為のことを、一般的に相互動詞と言います。
この相互動詞の中には、文法上自動詞として扱われるものもあれば、他動詞として扱われるものもあります。
それらの違いは何か。
例えば「figth」という動詞は戦う相手を行為の対象に取らないことが普通です。
I fight with you. [私はあなたと戦う]
あなたと一緒になって戦うという行為を成立させている、という形に文法上はなっています。
これは「talk」も同じです
I talk with you. [私はあなたと会話する]
あなたと一緒になって会話という行為を成立させている。
あなたは私にとって行為の対象ではなく、一緒になって、互いに作用しあって、行為を成立させている間柄、ということです。
いわば「with」という前置詞が、相手を行為の対象ではなく、自分と共に行為の主体であるとみなしている印と言えるでしょう。
しかし「marry」はそうではない。
I marry you. [私はあなたと結婚します]
あなたと一緒になって結婚という行為を成立させているのではなく、私にとってあなたは結婚という行為の対象です、という形になっています。
少なくとも文法上は。
私があなたと結婚するということは、同時にあなたは私と結婚するということでもあるんですが、向こうからの視点は関係なく、自分からだけの視点を主張していることになる。
これを私は「自視点主張型の他動詞」と呼んでいます。
相互動詞の中にも、共同主体型の自動詞と自視点主張型の他動詞とがある、ということです。
場合によっては一つの動詞が両方に対応していることもあります。
例えば、先ほどは「fight」を共同主体型の自動詞として例文を紹介しましたが、自視点主張型としても使われることがあります。
I fight an enemy. [私は敵と戦う]
こうすれば、敵とともに「fight」という行為を行っているという意味ではなく、あくまでも自分の視点からだけの、一方的な話をしているということになります。
文法上「fight」は共同主体型でも自視点主張型でも、どちらにも対応できることにはなっているんですが、通例として共同主体型で使われることの方が普通です。
ただ、意思を持たないような抽象的な概念に対しては、自視点主張型として行為の対象という形で表現される傾向にあります。
上の「enemy」もいわば概念としての対象といったところでしょうか。
She was fighting her own fear. [彼女は自身の恐怖心と戦っていた]
相互動詞の中でも、何を基準に共同主体型の自動詞と自視点主張型の他動詞に分かれているのか。
こればっかりはなかなか難しいものがあります。
個々の動詞ごとに考察していく必要がありそうです。
例えば「meet」という動詞はどうか。
Geroge meets Mason. [ジョージはメイソンに会う]
ジョージがメイソンに会うということは、同時にメイソンがジョージに会うことにもなるんですが、あくまでも自視点主張型として表現しています。
でもこれ共同主体型としても表現できるんです。
Geroge meets with Mason. [ジョージはメイソンと会う]
この場合、二人が同じ立場でお互いに働きかけて、互いに積極的に矢印を向けあって、共に「meet」という行為を成立させている、といった感じが出てきます。
なのでただ会うんじゃなくて、約束して会っているという意味になります。
お互いが同じ立場で互いに積極的に作用しあって成立するような場合は共同主体型である、ということなんだろうか。
それを示唆する表現がある。
先ほどから登場する「fight」ですが、この「fight」が基本的に共同主体型になるのは、互いが互いに敵意を持って作用しあっているのが普通だからです。
しかしこれが一方からだけの場合、自視点主張型として表現されることがあります。
James is fighting Ethan one-sidedly. [ジェームスが一方的にイーサンと戦っている]
この場合、ジェームスの側には戦う意思があるんですが、イーサンの方にはその気がなく、防戦しているのかどうしているのかはさておき、互いに戦っているとは言えないような状況、このような場合は共同主体型ではなく自視点主張型として表現されることがあります。
先ほどの意思を持たない抽象的な概念に対しては自視点主張型で表現されることがあるというのも、同じ理屈だと思います。
これらの事実から、同じ立場から積極的に相互に作用しあっている場合は共同主体型で表現し、そうでないなら自視点主張型で表現する、ということが言えるのかもしれません。
しかしそうだとすると明らかに矛盾する単語があります。
「marry」です。
結婚は普通、互いに協力して積極的に作用しあって行われる行為のように思えますが、「marry」という動詞は共同主体型で表現されることはなく、自視点主張型にしか対応していません。
そういもんだと片付けてしまってもいいんですが、それももったいないので考察してみます。
思うに、昔は結婚ていうのが自分の意思でするものというより、親や家系などの周りの環境によって取り決められていたことだったのかもしれません。
それが証拠に、「marry」は使役動詞を使わずに単体で「結婚させる」という使役的な使い方をすることができます。
She married her daughter to a rich man. [彼女は自分の娘をお金持ちの男性と結婚させました]
そういったかつての文化背景から、結婚に本人らの意思が介在されていなかったがために共同主体型よりも自視点主張型の方が馴染みやすかったのではないか。
あるいは男女の違いがあって、結婚とは女性が男性のもとへ嫁ぐもので、男性の方は嫁に来てもらう側、みたいな感じで、対等な立場ではなかったのかもしれません。
そうだとするとやはり共同主体型で表現するよりも自視点主張型の方がしっくりくるでしょう。
単純に形で覚えてしまうのもいいですが、こうやってああだこうだ考えるのも英語を学ぶ醍醐味です。