Wealthy as he was, he worked hard without being lazy.
[彼は裕福だったが、怠けることなく懸命に働いた]
Poor as she was, she spared no money to help others.
[彼女は貧乏だったが、人助けにお金を惜しむことはなかった]
「as」は「all so」の簡略したものとも言われており、「まったくもってそう」という意味を根本に持ちます。
基本的に「as」は、二つの事柄が「イコールである」ということを示しています。
「as」自体には譲歩の意味はありません。
にもかかわらず、なぜ譲歩の「as」なるものが存在するのか。
譲歩とは相手との間にある違いを認めることであり、「as」本来のイコールという意味とはむしろかけ離れています。
この矛盾を生み出している正体は、分詞構文です。
Being as poor as she was, she spared no money to help others.
この文は「彼女は実際そうであったのと同じように貧しく、それでいて、他人を助けるためにお金を惜しむことはなかった」という意味です。
この文の、頭の「Being as」が省略されたのが、譲歩の「as」です。
「~であるけれども」という譲歩の意味を生み出しているのは、「as」自身ではなく分詞構文なんです。
分詞構文は、二つの出来事が同時的もしくは連続的に発生していることを表現するための構文です。
そして、その二つの間柄がどういった意味関係になるのかは、ある意味で自由自在です。
都合のいいように、脈略に合うように、意味関係をつなげてしまえばいいのです。
分詞構文が表す意味は主に6つあると言われており、その中の1つに「~するけれども」という譲歩があります。
譲歩の「as」を倒置として捉えらえることもありますが、実際は倒置ではなく、分詞構文の省略です。
そして分詞構文は譲歩以外の意味も表現できるので、場合によっては譲歩の「as」と言われいる形が、譲歩以外を表すこともあります。
Poor as she was, she could not get a proper education.
これもやはり冒頭の「Being as」が省略された分詞構文で、意味としては「彼女は実際そうであったのと同じように貧しくて、それでいて、適切な教育を受けることが出来なかった」という意味になります。
この「それでいて」の部分をどう解釈するのか。
譲歩として捉えると少し不自然です。
貧しいけれども、適切な教育が受けれない。
両者の内容的を「けれども」という譲歩でつなげるのは違和感があります。
分詞構文が表す意味の中には、譲歩のほかに「理由や原因」というものがあります。
貧しいので、適切な教育が受けれない。
こっちの方がしっくりきます。
このように譲歩の「as」とは言いつつも、元々が分詞構文なので、譲歩以外の意味を表すことも起こり得ます。
譲歩の「as」が倒置ではなく分詞構文であるという証拠に、ときどき一つ目の副詞の「as」が省略されずに残っている文章を目にすることがあります。
As hard as she tried, she passed the university of her first choice.
[努力の甲斐あって、彼女は第一志望の大学に合格した]
ちなみにこの場合の「hard」は形容詞ではなく副詞で、「try」という動詞を受けています。
省略されていない全文としては、
Trying as hard as she tried, she passed the university of her first choice.
[彼女は実際そうしたように懸命に挑み、それでいて、第一志望の大学に合格した]
となります。
同じような形の「as」として、文頭が形容詞や副詞ではなく、あるいは名詞でもなく、そのまま分詞が置かれている場合があります。
Standing as it does on the hill, the hotel commands a fine view.
これは「ホテルが丘の上に立つようにして立っており、それでいて、そのホテルはよい景色を見渡す」という意味の文章です。
日本語に直訳すると回りくどいですが、英文ではそうならないように繰り返しを避けて、「as」節内ではホテルという主語は「it」で、立つという動詞は「does」で表現しています。
要は「as」以下の節が分詞構文の意味を補強している感じです。
「立っている、どのようにかというと…」というのが「Standing as ...」の意味するところです。
これは過去分詞であっても同じです。
Seen as it was by many people, she was so nervous that she couldn't move.
[多くの人に見られて、彼女は動けなくなるほどに緊張した]
文頭は「seen」という過去分詞ですが、これは厳密には「Being seen」のことなので、「as」節内の簡略の形としては、「being」に対応したbe動詞「was」が使われています。
「形容詞+as節」、「副詞+as節」、「名詞+as節」、「分詞構文+as節」のほかに、「動詞+as節」のパターンもあります。
Try as you may, it can't be finished today.
動詞から始まっているこの文は、分詞構文ではなく倒置でもなく、単純な命令文です。
厳密にいうと「Try as you may try」ですね。
直訳するなら、あなたがやれるかもしれないようにやってみなさい。
「may」っていうのは可能性が半分半分みたいな意味です。
つまりその範疇の中でやってみなさい、せいぜいやってみなさい、って感じです。
それプラス「それは今日中に終わらせることが出来ない」というもう一つの文章が付け加えられています。
文章上には接続詞も何にもないし、話者自身も口にはしていませんが、その裏には何か思惑があるのは明らかです。
それを聞き手も自然と補完するわけです。
せいぜいやってみなさい、今日中には終わらせられない(だろうけど)。
この言外に潜む「だろうけど」という気持ちを、俗に譲歩と言っているだけの話です。