引きこもり英語学習法

素人英語の学習ブログです。

移動系なのに他動詞「leave」

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移動系の動詞はたいてい自動詞が多い。

それもそのはずで、移動っていうのは他者に作用するんじゃなく自分で移動している状態になるという自動性の強い行為だからです。

だから「walk」も「run」も自動詞です。

「go」や「come」が自動詞になるのも同じ理由です。

「go」や「come」も本質は移動を意味している。

行為の主体が「移動している状態になる」という状態変化を意味する自動詞です。

ただ、この移動系の動詞も言い方を変えると重きを置くポイントが変わってくる。

 

たとえば「いなくなる」という言い方をすると、それはただの移動ではなくなります。

ある場所を起点としてそこからいなくなるという意味です。

つまり主体の状態変化に重きが置かれていない。

起点となるある場所に重きが置かれ、そこを軸にいなくなるという現象が起きます。

本当に消えていなくなるんなら、それは主体の状態変化ですが、この場合そういうことじゃない。

あくまでもある場所を起点にしたときに、移動してその場からいなくなるという意味です。

この場合、起点となる場所があるからこそ「その場からいなくなる」という行為が成立するわけです。

これが「leave」という他動詞です。

 

「leave」はある場所にいるけどそこから移動していなくなるという、場所に重きを置いた他動詞です。

ただ、本来の「leave」というのは「対象をその場に置いたままにする」という意味です。

その対象を場所にした場合は「場所を置いたままにする」という意味となり、そこから発展して日本語でいうところの「去る」という行為になっているだけです。

We leave Japan tomorrow.
[我々は明日日本からいなくなります]

この文も、感覚的には「日本をその場に置いて去る」って捉えた方が他動詞「leave」の本質に近い気がします。

 

同じような意味でも、場所ではなく主体の状態変化に重きを置いた言い方として「start」があります。

これは主体が移動せずに止まっている状態から移動した状態へと切り替わるその瞬間に重きを置いた動詞で、移動の開始を意味しています。

あくまでも主体の状態が変化したことを言っているだけなので、場所のことは関係ありません。

なので場所のことに言及する場合は前置詞を伴います。

We start from Japan tomorrow.
[我々は明日日本から出発します]

ただ「start」は移動の開始というだけでなく、もっと広く動き始めるという状態変化を意味しています。

The engine started at last.
[ようやくエンジンが動き始めた]

さらに「start」は、行動を対象にして主体がその行動を始めるという他動詞としての意味もあります。

Then the baby started crying.
[そのとき、赤ちゃんが泣き始めました]

 

なのでもっと正式に移動の開始という意味での状態変化を言い表す表現として「depart」という動詞もあります。

We depart from Japan tomorrow.
[我々は明日日本を発ちます]

主体の移動の開始という状態変化を表すのが「depart」であるのに対し、移動の終了という状態変化を表す自動詞が「arrive」です。

「arrive at(~で移動を終える)」と「depart from(~から移動を始める)」はセットみたいなもんです。

「arrive」の詳しい解説は以下をご覧ください。

 

ちなみに、変わることのない確定した未来は、この記事の中で度々出てきた例文のように、現在形で表現されることがよくあります。

特に交通機関などの公な組織の予定が絡む場合は、状況的に変更が効かないという意味で現在形が使われます。

arriveが自動詞の理由

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動詞というのは、何に重きを置いているかで、自動詞か他動詞かが変わってくる。

行為の主体者の状態変化に重きを置けば自動詞となります。

一方で、その状態変化を成立させている存在に重きを置けば他動詞となります。

talk」が自動詞で「discuss」が他動詞なのがまさにそうです。

talk」は行為の主体になる存在が複数必要で、その複数の主体が共同で「talk」という行為を成立させている、その状態に重きを置いた自動詞。

一方「discuss」は、その「talk」を母体に、話し合っている内容に重きを置いたことで成立している行為。

つまり話し合っている議題なくして「discuss」という行為は成り立たない、故に他動詞。

 

この関係によく似ているのが「arrive」と「reach」です。

日本語でいうとどちらも到着するという意味ですが、二つには違いがある。

 

「arrive」は到着というよりかは「移動が終わる」という感覚に近い。

移動していた行為の主体がその移動を終えた状態になるという状態変化を意味している。

到着という言い方をすると、まるで場所に重きが置かれているような感じがするけど、そういうわけではないです。

それよりかは移動が終わった「状態」の方に重きがある。

移動が終わったってことは、それは副作用的にどこかに到着したということにはなる。

ただそれだけのこと。

 

あくまでも「arrive」の本質は、行為の主体が移動を終えた状態に「なる」という主体の状態変化に重きを置いた表現で、「どこに」という場所には重きを置いていない。

つまり「arrive」にとって場所というのはただの結果にしか過ぎず、「arrive」は主体を「移動を終えた状態」にするためだけに存在している行為に過ぎない。

元を正せば古いフランス語で「河岸に着く」という意味の言葉から生まれました。

このことからもわかるように、自分の意思とは関係なく、川に流れ流されている状態からその状態が終わる、というのが元々の意味です。

流されているのが終わるってことは必然的に岸に着いたことを意味しているけど、それを言いたいわけじゃなく、あくまでも流されている状態が終わったということが「arrive」の本意です。

 

一方で「reach」はそこからさらに踏み込んだ表現です。

「reach」の元々の意味は「手を伸ばす」です。

ただ手を伸ばすだけなら、自分以外の存在に作用せずにただ自分の状態を変化させているだけなので、自動詞ということになります。

しかしそこから意味が発展して、手を伸ばした結果「何かに触れる」という意味を持つようになった。

触れた「何か」の存在にまで意味の範疇を伸ばした。

自身の状態のことではなく、触れた何か、つまり自分以外の存在に重きを置いたわけです。

そうして他動詞「reach」は生まれた。

ただの「手を伸ばす」という状態変化の意味から「手を伸ばして触る」という対象との関わりに意味の重点が移った。

到着するというのも、いわば「場所を触る」という行為です。

場所がなければ触ることもできない。

場所がなければ「reach」という行為が成立しない。

故に「reach」だけでは自立できない他動詞となり、主体の状態変化に意味の重点を置いた「arrive」にとってはただの結果に過ぎなかった「場所」という存在が、「reach」にとっては自分を成立さえるための必須情報として存在しているわけです。

 

The firefighter soon arrived at the fire scene.
[消防士はすぐに火災現場へと移動を終えました]

We can reach the pyramids by public transport.
[公共交通機関を使ってピラミッドにたどり着くことができます]

「arrive」にとって場所は追加情報に過ぎないので前置詞を伴って追加し、「reach」にとっては行為を成立させるための必須情報なので前置詞なしで当然のようにそこにいます。

discuss/argue/debateの違い

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結局のところ動詞というのは、その行為が何に重きを置いているのかが全て、と言えるでしょう。

例えば会話系の動詞「converse」、「talk」、「chat」、「chatter」、これらの動詞は共同主体型の自動詞です。

俗にいう相互動詞です。

行為の主体が複数存在していることを前提にしており、その複数の主体間での言葉のやり取りに重きを置いています。

内容には重きを置いていない。

だから内容はただの追加情報となり、前置詞を伴う。

 

これに対して「discuss」という動詞はどうか。

議論するという意味ですが、この行為も「talk」らと同じで複数の主体が必要な共同主体型です。

ただ、会話とは違って「議論」という言葉には、内容に深く重きを置いている響きがある。

つまり「discuss」という動詞にとって議題という名の内容はただの追加情報ではなく、「discuss」という行為自体を成立させるために不可欠な存在であるということです。

「discuss」自体に議題という内容を受け入れるだけの度量があるとでも言いましょうか。

逆に言うと議題なしでは自立できないと言いましょうか。

だから「discuss」は前置詞なしで直接内容を目的語に取ることができる他動詞となります。

We need to discuss the problem with her.
[我々はその問題を彼女と議論する必要がある]

「discuss」の語源は「振って粉々にする」です。

対象もなしに振って粉々にするなんて行為はできません。

議題もなしに「discuss」できないのと同じです。

 

似たような動詞に「argue」というのがあります。

「discuss」が、複数存在する主体が互いに平等な立場から話し合い、その結果として議題に対する答えを共に見つけようとする建設的な姿勢があるのに対し、「aurgue」は自分の主張を相手にぶつけるようなイメージがあります。

この「自分の意見を主張する」という意味合いが強い場合はもはや共同主体型ではなくなるので、他動詞性が強くなり、動詞だけでは文が成立しません。

そこで文を成立させるべく、主張すべき内容が行為の対象(目的語)となります。

She argued the case for changing the law.
[彼女は法改正のための根拠を主張した]

 

「discuss」が共同主体型ながらも話し合う内容に重きを置いた結果、他動詞化したのに対し、「argue」は単純に共同主体型で無くなったが故に他動詞化します。

逆に言うと、一方的に意見を主張するのではなく、相手と意見を互いにぶつけ合うという相互関係の意味合いで「argue」を使用した場合、共同主体型の性質が働いて自動詞化します。

「言い争う」という意味ですね。

内容に関係なく、複数の主体が「言い争っている状態になる」という点に重きが置かれいます。

それゆえ目的語なしで文が成立し、それ以外のことが追加情報となり、前置詞を必要とします。

He was arguing with my brother about how to spend the money.
[彼は私の兄とそのお金の使い道について言い争っていました]

 

「argue」には「意見を主張する」というほど立派ではない、ただ「文句を言う」というそんな意味もあります。

この場合においても、文句の内容ではなく「ぶうたれている状態」に重きが置かれることになります。

つまり自動詞として機能します。

そのため動詞のみで文が成立し、それ以外は追加情報となり前置詞を伴います。

Your father knows best. Don't argue with him.
[君のお父さんが一番よく知っている、文句を言わないで]

 

またもう一つ同じような動詞に「debate」があります。

「discuss」とよく似ていますが、「debate」の方がかしこまった正式な感じがします。

賛成派反対派に分かれていることを前提に議題について意見を交わしあうのが「debate」ですね。

議論すべきテーマが疑問詞節の形で目的語になります。

We debated whether it's right to clone an individual.
[我々は一個体を複製するのが正しいか否か討論しました] 

疑問詞節以外にも一般名詞を目的語に取ることもあります。

論争の対象となる問題点という意味の「issue」がその代表格です。

名詞で議題を表す場合は「about」や「on」などの前置詞が使わることもよくあります。

前置詞を置く置かないの基準はあってないようなもんです。

疑問詞節の前に「about」が置かれている文章だって見たことがあります。

 

I debated with them on the future of democracy.
[民主主義の未来について私は彼らと討論しました]

「debate」に関しては自動詞なのか他動詞なのかがはっきりしない動詞です。

上の文章なんかは文法上は自動詞扱いです。

討論している状態に重きを置いているのか、討論している内容に重きを置いているのか、どちらにも転びうるのが「debate」という動詞です。

そんなアンニュイな動詞に出会うのもまた一興。

say/speak/tell/talkの違い

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「utter」という動詞をご存じでしょうか。

「utter」というのは、口を使った「発する」という行為のことを言います。

何を発するのか。

この「何を」にあたる部分が「utter」という行為の対象になります。

口から発するのは「音」ですね。

なので音に類するものが「utter」という行為の対象、つもりは目的語となります。

He uttered a cry of joy.
[彼は歓喜の声を発しった]

場合によっては音以外のものを発することもあります。

She will utter a deep sigh.
[彼女は深いため息を発するでしょう]

 

口から発するものをただの音ではなく内容を伴った言葉に絞った場合は、それはもはや「発する」ではなく「言う」へと変わります。

すなわち「utter」から「say」へと変化します。

では、どんな事を言うのか。

この「どんな事を」にあたる部分が「say」という行為の対象になります。

そしてこの「どんな事を」っていう対象に対し、かなり微に入り細を穿ったところまで踏み込んでいる。

That節、疑問詞節、to不定詞など、いろんな形で具体的な内容を示し、「say」という行為の対象になる。

いわば漫画の吹き出しのようなイメージです。

「say」って動詞は、あの吹き出しが付属した動詞なんです。

吹き出しがあるんだからその中に発言の内容を入れなきゃいけない。

吹き出しの中に入れる内容が「say」の対象です。

He didn't say why he was so late.
[彼はどうしてそんなに遅れたのかを言わなかった]

場合によっては具体的に言った言葉をそのまま対象に取ることだってある。

The boy said, "Mom, I'm home".
[少年は「お母さん、ただいま」と言いました]

このように文章をそのまま対象に取ることができるというのが「say」のみが持つ最大の特徴です。

その一方でもちろん、ただの一般名詞が「say」の目的語になることもあります。

What do you say your name?
[お名前は何て言うんですか]

Before we start eating, let's say grace.
[食べ始めるに感謝の祈りの言葉を言いましょう]

代名詞が目的語になることもよくあります。

He just laughed and said nothing.
[彼はただ笑っただけで何も言わなかった]

Nobody says anything about this.
[このことについては誰も何も言わない]

 

このように「say」という動詞は発言の中身に重きを置き、そこに作用することで成立する他動詞です。

その一方で「誰に対して」言ったのかということは重要視されていない。

そのため相手に言及する場合は前置詞が必要になる。

I don't remember saying that to him.
[彼にそんなことを言った覚えはありません]

 

行為の対象というのは、「何をどうこうするのか」という直接的な対象の他に、「何に対して」あるいは「何に向かって」するのかという間接的な対象も存在しています。

この間接的な対象にすら重きを置いた言葉が「tell」です。

 

「tell」の本質は「伝える」です。

つまり伝える相手ありきの言葉なので、内容に加えて「何に対して」という間接目的語までもとることができます。

いわゆる第4文型を作る動詞です。

Let me tell him the truth.
[彼に真実を伝えるのは私にやらせてくれ]

伝える相手(間接的な対象)も伝える内容(直接的な対象)も「伝える」という行為を成立させるのに必要な存在であり、伝えるという行為の対象になります。

なので、どちらに対しても前置詞が要らない。

 

さて、では「speak」はどうなるのか。

「speak」の本質は「発話する」です。

口から言葉を発している状態に重きを置いた、状態変化動詞です。

つまり自動詞です。

「run」や「sleep」などと同じで、主語が何にも作用せずに自分で自ら発話している状態になる、そこに内容があるならあるでいいし、相手がいるならいるで別にいい、そんなことよりも主語が発話している状態になるということの方が重要、ってのが「speak」の本質です。

主語の状態変化に重きがあり、発話の内容も相手も関係ない。

漫画でいうと、吹き出しがついておらず、ただ一人で喋っている絵だけが描かれているのが「speak」って感じですね。

そのため、発言内容に言及するなら吹き出しを用意する必要があるし、相手に言及するなら相手を描くだけのスペースを確保する必要がある。

それらの役割を担っているのが前置詞です。

Kate spoke to us about her own past.
[ケイトは僕らに自身の過去について話してくれた]

 

具体的な内容に重きを置いていないとはいえ、発話をするには最低限言語は必要です。

なので「どんな言語で話すのか」ということには重きが置かれているんです。

そのため、言語に関しては目的語に取ることができます。

I heard she speaks three languages.
[彼女は3か国語喋るらしいです]

この場合でも、具体的な内容に触れておらず、主語が発話するにあって利用している言語に重きが置かれているだけなのがわかります。

ただそれでも、実際には「speak」も他動詞として内容を目的語に取ることはよくあります。

「speak a word(一言話す)」、「speak the truth(真実を話す)」、「speak my mind(自分の考えを話す)」などなど。

しかしこれらはすべて、具体性ということに関してはそこまで踏み込んでいないのも事実です。

具体的な内容に言及するときはやはり前置詞を伴うのが一般的と言えるでしょう。

 

talk」という動詞は複数の主体が互いに作用しあっているだけで対象の存在を必要としない自動詞です。

詳しくはこちらの記事を参考に。

seven-rock.hatenadiary.jp

talkが自動詞な理由

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「fight」という動詞はその性質上、行為の主体が必ず複数発生します。

一方が戦うとき、もう一方も戦うわけですから。

両者が同じ立場で「fight」という行為を成立させている。

こういった動詞のことを相互動詞といいます。

私は個人的に共同主体型の動詞と呼んでいます。

そしてこういった共同主体型の動詞の多くは自動詞になります。

なぜなら、複数存在する主体が互いに作用し合っているだけで、外に向けて何かにエネルギーを作用させているわけではないからです。

つまり行為の主体自体が主体自身に作用して状態を変化させているだけ、という自動詞の方程式が成り立つわけです。

 

たとえば「converse」という動詞は「談話をする」という意味です。

談話をするという行為が成立しているとき、その行為の主体は必ず複数存在することになります。

談話をする側される側、ではなく、対等な立場としての行為の主体が複数存在する。

その複数の主体間で言葉がやり取りされているという状態に重きを置いた表現で、主体以外の存在を必要としていない。

故に「converse」という動詞は目的語をとることができず、他動詞としての機能を持っていません。

純粋な自動詞のみの動詞ということです。

談話をするという状態に重きが置かれているので、何について談話したのかという内容は、ただの追加情報になります。

そのため、内容に言及する場合は前置詞を伴って後ろに置きます。

We were just conversing on the matter right now.
[我々は丁度今その事について談話をしていたところです]

 

この「converse」のもう少しカジュアルな言い回しが「talk」です。

硬い表現が少し軟化したくらいのもので、根本の原理は一緒です。

日本語でいうところの「談話をする」が「会話をする」あるいは「お話をする」に変わった感じです。

「会話をする」という行為の性質上、複数の主体が存在することになります。

その複数存在する主体間同士で双方向にエネルギーが流れているだけで、よそへとエネルギーを作用させているわけじゃないので自動詞。

We talked all night long.
[私たちは一晩中会話をした]

これは複数存在るする主体をまとめて主語にした表現ですが、これを分離させ、単体を主語において、残りを前置詞とともに修飾語として置くこともできます。

I talked with them late into the night.
[私は彼らと夜遅くまで会話をした]

この場合の前置詞に「with」ではなく「to」が使われることがよくある。

この「to」という前置詞が共同主体型自動詞「talk」の持つ双方向性を鈍らせます。

I need to talk to you.
[私はあなたと会話をする必要があります]

前置詞「to」によって、まるで主語の「I」から「you」へと一方的なエネルギーの流れを感じさせますが、共同主体型自動詞「talk」の影響を受け、この流れはあくまで双方向なものとなり、「you」に届いたエネルギーはすぐにまた主語の「I」へと帰ってくることが前提になっています。

「with」でも「to」でも特に意味は変わらないと思います。

ただし、「talk」の共同主体であっても、主体間でなんとなく話し手と聞き手に分かれるような状況において「with」を使うのは、ちょっと変に思われるかもしれません。

ただそれでも、基本は「talk」は共同主体型の自動詞であり、「I talk to you.」という文章において「I」も「you」も共に行為の主体であり、対象にはなり得ないということに変わりはありません。

 

talk」がさらにもっとカジュアルになったニュアンスとして「chat」という動詞があります。

日本語でいうところの「会話をする」が「お喋りをする」になった感じですね。

これもやはり双方向のやり取り故、共同の主体という点において「converse」や「talk」と同じく自動詞となります。

I chatted to my friend on the phone for half an hour.
[私は友達と30分ほど電話でお喋りをしました]

 

「chat」のさらに砕けた言い回しとして「chatter」という動詞もあります。

これまでの動詞同様に共同主体型の自動詞です。

ニュアンスとしては「ペチャクチャ喋る」みたいな感じです。

名詞として「猿の鳴き声」や「機械のカタカタいう音」という意味もあることからわかるように、雑音とか、不要な音みたいな、ちょっとネガティブなニュアンスを感じます。

They chattered on and on.
[彼らはずっとペチャクチャお喋りしていた]

共同主体型の動詞

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時には、動詞のもつ性質がその行為の対象の属性をある程度絞ることがあります。

「read」なら対象は広く「読み物」を指し、「eat」なら対象は広く「食べ物」指し示しています。

そのため目的語を省略して自動詞として使用すれば、「I read.」で読書をする、「I eat.」で食事をするという意味合いになる。

日本語でいうところの「名詞+をする」の表現に変わる。

こういった類の動詞を私は対象内包型の動詞と呼んでいます。

 

それとは別に、動詞の持つ性質が、行為の対象だけでなく行為の主体へも影響を及ぼすことがあります。

たとえば「戦う」という行為は、行為の主体が複数存在していることを前提としています。

つまり一方が戦うとき、必ずもう一方も戦うことになります。

戦うという行為の性質上、どうしても行為の主体が複数発生することになる。

こういった複数の主体が双方向にやり取りをすることで行為が成立する動詞のことを相互動詞といいます。

私は個人的に「共同主体型の動詞」と呼んでいます。

そしてこの「共同主体型の動詞」の多くは自動詞です。

何故なら、複数存在する主体の間だけでエネルギーのやり取りが存在しており、けして他者へは作用しないからです。

 

Musashi and Kojirou once fought on Ganryujima.

[武蔵と小次郎はかつて巌流島で戦いました]

武蔵にとって小次郎は「戦う」という行為の対象ではなく、戦うという行為を共に成立させる共同の主体仲間です。

小次郎にとっての武蔵も、また然り。

故に二人そろって戦うという動詞の主語になるわけです。

この場合、「fought」の後ろに置くべき行為の対象を見つけらる人なんていないでしょう。

「戦いを戦う」なんて言い方はしないわけですから。

それはすなわち、「fight」という動詞が行為の対象が存在しない自動詞であるということの証明です。

 

強いて「~を」という言い方で表現するなら「喧嘩を戦う」ですね。

武蔵と小次郎が巌流島で「喧嘩を戦った」、これでもまあ意味は通ります。

現に「fight」には「喧嘩をする(暴力あり)」という意味もあります。

「喧嘩」じゃなくてもっと別の次元の戦いを言い表すときは、自動詞を他動詞化して喧嘩の部分を別の目的語で書き換えます。

「fight a war」なら「戦争を戦う」になりますし、「fight a lossing battle」なら「負け戦を戦う」になしますし、「fight an election」なら「選挙を戦う」という意味になります。

 

もう一つ例文を見て見ましょう。

Goku and Freeza on Planet Namek.

[悟空とフリーザはナメック星で戦いました]

この文は、複数存在する主体をまとめて主語にした文章ですが、単体を主語にして言い表すこともできます。

文章上で、行為の主体を分離させるわけです。

このとき、主語に置かれなかった行為の主体は、別の形で文章に登場します。

あくまでも「fight」の本質は複数形主語の自動詞だからです。

Goku fought with Freeza on Planet Namek.

[悟空はナメック星でフリーザと戦った]

この場合、フリーザは戦うという行為の対象ではなく、あくまでも悟空と同じ戦うという行為の主体です。

戦うという行為を軸に「主体か対象か」という視点で見た場合、悟空とフリーザになんら違いはありません。

元を正せば同じ「fight」の主語です。

それを分離させて一方を主語に置き、もう一方を「with A」の形で修飾語句として追加情報的に置かれているだけの話。

ちなみに「with」の語源は「分離する」でして、ここで「with」が使われるのしごく納得です。

もちろん普通に敵対を意味する前置詞「against」を使うこともできます。

 

他にもよく似た共同主体型の動詞として「compete」という動詞があります。

競い合うという意味です。

これも行為の性質上、必ず行為の主体が複数人存在することになりいます。

そもそも接頭語の「com」には「共に」という意味がありますんで、主体が複数発生するのも当然です。

日本語的に「名詞+をする」という形で言い変えるとすれば「競争をする」ですね。

Will you compete in the race?

[レースで競うつもりですか]

場合によっては競う相手の存在を明示しないことがあります。

これは相手のことはどうでもよくて、話の重点が主語の状態変化にあるからです。

自動詞の本質は主語の状態変化です。

つまり「あなたはそのレースで競う状態になるのか」という意図の質問で、レースに出場するのか否かを聞いています。

なので、「compete in A」で「Aに参加する」という意味合いになります。

buyとshopの関係性

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「read」や「eat」という動詞は、その行為の特性上、対象がどういったものであるのかがある程度推測できる。

「read」であれば読む物、「eat」であれば食べる物が、行為の対象になる。

行為自体が対象の属性をある程度限定させ、普通はその属性内のどれかが対象になる。

故に目的語をとらなくても「I read.」で読書をするという意味になり、「I eat.」で食事をするという意味になる。

こういった動詞を私は対象内包型の動詞と呼んでいます。

 

日本語では「読む」から「読書をする」に、「食べる」から「食事をする」に言葉が変わるのに対し、英語の場合は「read」や「eat」のまま目的語のあるなしで変わる。

ただ英語においても言葉自体が変わるケースもあります。

例えば「buy」。

買うという行為はその対象がどういったものか、「read」や「eat」ほど行為自体からは限定できません。

そのため他動詞としての性能がだいぶ優位に働いており、自動詞として使用されるケースは稀なんですが、それでも一応対象を広く「売ってる物」と捉えることはできます。

それでもなぜ「buy」を自動詞として使わないかというと、ほかの言葉があるからです。

「shop」という自動詞です。

「shop」というのは買い物をする、すなわち商品を買うという意味で、行為を示す言葉自体に完全に行為の対象が含まれている言葉なんです。

なので目的語を置いてしまうと変な感じがする。

新しい家具を買い物する。

変な日本語ですよね。

目的語をとるんなら普通に「buy」を使えばいいだけの話です。

もし「shop」を使って言い表すのであれば、

We are shoping for new furniture tomorrow.
[私たちは明日、新しい家具を買いに行きます]

のように前置詞が必要になります。

(ちなみに、確定している予定や手配済みの予定は普通、進行形で表現します)

 

「play」も内包型の動詞の一つです。

「play」には「弾く」という意味がありますが、この動詞はその特性から行為の対象があからさまに限定されています。

そうです、楽器です。

楽器ありきの行為なのでどう考えても他動詞ではありますが、こんだけ対象が限定されてたら、否が応でも自動詞としての機能が生じます。

日本語では「弾く」が「演奏する」に変わりますが、英語の場合は「play」という動詞はそのままで、後ろに目的語があればその対象に向って弾くという行為のエネルギーを作用させる他動詞の意味になり、目的語がない場合は主語が演奏した状態になるという状態変化重視の自動詞の意味になります。

Will you play for us? [私たちのために演奏して頂けますか]

Can you play the violin?  [あなたはバイオリンを弾けますか]

 

このように内包型の動詞というのは意外とたくさんあります。