他者の存在を必要とせず自分一人で状態を変化させる行為は自動詞、他者の存在ありきで他者に作用することで成立している行為は他動詞、というのであれば、では「見る」という行為は他動詞でしょうか、自動詞でしょうか。
見るっていう行為には、必ず何かしらの対象が存在しています。
対象を必要とせずに見るという行為ができないので、「見る」は他動詞ということになります。
日本語の「見る」という言葉は汎用性が高くいろんな場面で使えますが、英語の「見る」はもう少し細分化されており、状況によって使い分けます。
有名なのが「look」「see」「watch」の3つです。
しかしこの中で、「look」だけは他動詞ではなく自動詞となっています。
何故か。
見るという行為は必ず対象が必要になるにもかかわらず。
実は「look」の本質は「見る」ではないんです。
見るというより、厳密に言うと「視線を移動させる」です。
目玉を動かしたり、首を動かすという動作は、それ自体は決して対象を必要とせず自分一人で実行可能な動作です。
いわば自分の状態を変化させているわけです。
他者の存在に関係なく、自分一人で勝手に自分の状態を変えている。
だから「look」は自動詞なんです。
「look」という言葉だけだと、実は「何を見ているか」には重点が置かれていない。
だから視線を移動させた先を表す「at」と結びついて、「look at A」でAに向けて視線を移動させる、すなわち「Aを見る」という意味になるんです。
「listen」が自動詞になるのも同じような理由です。
聴くという行為自体は何かしらの音がないと成立しない行為ではありますが、「listen」の本質はそこではないんです。
音は本来360度どの方向からでも聞こえてくるものですが、受け手自身が意図的にある方向からの音だけを聞きとろうと自分の状態を変える、それが「listen」です。
強引に説明するなら、耳の位置を変える、ですね。
わかりやすく言うなら、耳を傾ける。
音のあるなしにかかわらず、耳を傾けてる状態になることはできます。
これすなわち、対象の有無に関係なく自分一人でできる行為、つまり自動詞です。
どっちの方向に意識を向けているかを表す前置詞(to)と結びついて「listen to A」でAの方向に耳を傾ける、すなわち「Aを聴く」という意味になります。
通常モードから、lookモード、listenモードに切り替える、そしてその状態になってから見るなり聞くなりする。
これが「look」と「listen」の正体です。